海の近くに住みたい

昨日は、北鎌倉へ。命日から2ヶ月が過ぎた東慶寺小林秀雄の墓石にはさすがに線香が添えてあるだけだったが、円覚寺の小津の墓前にはワンカップ焼酎などの酒が10本くらい供えてあった。
その後、鎌倉のつるやでうなぎを食べる。川端康成田中絹代も通ったという店で、四時過ぎということもあり、客は我々のみでのんびりとふっくらしたうなぎを食べることが出来た。
海が近かったので、海へ。滑川手前の公園が一面芝生で、子供たちが水飲み水道の蛇口から水をまき散らして遊んでいて、とても楽しそうだった。公園の端のコンクリートの上には、遠目には岩のように思える大きく毛並みのふさふさした犬とチョコレートクッキー色のトイプードルとともに、日に焼けすぎたオレンジ色のシャツを着たおじさんが微動だにせずに座っていて、静かな夕方の休日という感じだった。
海は風が強く、長い時間はいなかったのだが、やはり海に出ると何やらスカッとする。来て良かった。西日が強い夕暮れだった。

夜、NHKでサンフランシスコの待ち歩きの番組を見る。http://www3.nhk.or.jp/hensei/program/k/20090501/001/21-2245.html
カメラがふわふわと不安定で、見ていると酔ってくる。だいたい歩き回ったエリアだったので、見るのを止めようかとも思ったほど。もう少しまともな技術で撮って下さい。ナレーションの市原悦子の声で、「パンクロック」という単語を聞く事が出来たので良しとするが。

忌野清志郎が亡くなりましたね。本名は栗原というのですね。放送禁止になってしまう歌を出したりと、規制の異様に厳しい日本にあって、ロックの「無茶」なとこを体現した人だという印象が強かった。また、テレビの歌番組で「トランジスタ・ラジオ」を歌った放送を見たことがあるのだが、オレンジのアンプとフライングVで粘っこくて粒の粗い音を出していたことも覚えている。そういえば、年末の特番で稲垣吾郎のバックではっぴいえんどの曲を愛器のフィエスタ・レッドのストラトで弾いていた鈴木茂もやたらと太くていい音を出していた。民放のテレビ番組で、いい音を出すことが出来るというのは、なかなか希有なことだと思う。テレビのスピーカーというかなり極端な音域で、自らの音がどう響くかを体験的に知っていないと難しいはずだ。
清志郎の日本語の歌詞は、松本隆のそれとともに、平易な言葉でロックのごつごつとした違和感のようなものを感じさせるものだった。日本の若手で継承できている人はいるのだろうか。最近の若手バンドは、全然日本語のセンスがないからなぁ。そもそも本を読んでないから、言葉が中学生なんだよなぁ。本人たちは恥ずかしくないようなのでいいのですが、海外のバンドの「まともな歌詞を書く」人たちがそこそこの読書家であるという周知の事実は、もちろんご存知ないんですよね。まぁ、賞味期限の短いものは淘汰されていく一方だからいいけど。

フィッシュマンズ佐藤伸治の墓石の横の石碑には、「ひこうき」の歌詞が掘ってある。小高い丘の上のその場所からは、時々飛行機が飛んで行くのを見る事ができる。忌野清志郎の石碑が作られるとしたら、どんな歌詞が掘られるのだろうか。