選挙に行って、気に入らない候補者を落選させよう!

午前中に投票所になっている小学校に行ったら、子連れの若い夫婦が多かった。20代、シルバーは選挙に行かないつもりなのか?
小学校の授業で、参政権を取るのに、物凄い苦労があったと習ったと思うんだが。

さて、boidのサイトを見ていたら、レヴォン・ヘルムのニューアルバムが出たそうな。
http://www.boid-s.com/diaries/466.php
ロックが好きといいながら、レヴォン・ヘルムって誰ですか?と聞く輩は、長嶋や王を知らないのに野球ファンと口走っている恥も外聞もない嘘つき野郎なので、一生お子様ランチ喰ってろ!と吐き捨てて無視していたのだが、そんなことを言うと本当にお子様ランチしか知らないままになるし、はてなハイパーリンクは質がいまいちなので、リンクを貼っておいてあげますよ。

ひとつ言えるのは、無知を開き直るようになったら、もう老人ですよ、ということです。
ロシア・アヴァンギャルドを勉強していた時に、50代の教授が毎月CDを50枚くらい買う、という話をしていた。
趣味や感覚というのは、年を重ねるごとに怠惰になって、新しいものや未知のものに追いついてゆけなくなる。
だから、意識的に聞いてるんだ、と。

教授になるような人は、やっぱり謙虚だなぁと思った。
そういうのって、大切だと思います。

http://www.google.co.jp/search?q=%E3%83%AC%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A0&lr=lang_ja&ie=utf-8&oe=utf-8&aq=t&rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official&client=firefox-a

あと、湯浅湾は、内輪ジョークみたいなものだとおもうので、爆音映画祭のBGMで流すのはいい加減やめた方がいいと思う。
初めてバウスに来るような人もいると思うし、毎回来ている人にとっても、あれは相当に耳障りではないか?
個人的には、湯浅学のむちゃくちゃな評論も、大嫌いです(笑)。
特に、ラリーズ関連は、あの妄想垂れ流しみたいなどろどろの文章のおかげで、昔からのファンはうんざりしていたのではないか。
大学の頃、ラリーズの再結成ライブを企画するというサークルをしていて、ラリーズと仕事をしたことのある人たちといろいろ会わせて頂いたが、湯浅学を支持する人はいなかったような。
少なくとも、湯浅学の文章でラリーズを知る人と、ラリーズを知らない/(音源が入手困難なので)聞くことが出来ない人の溝は深まりこそすれ、埋まることはないのではないか、と個人的には思えて仕方なかった。

個人の妄想で作品を覆い隠すという点では、失笑ロキノン湯浅学は、それほど差がない。

日本のロック/ポップ史に必要なのは、『ブラック・ノイズ』のトリーシャ・ローズのように、作品そのものや社会状況などを「文化」として思考してゆくアプローチのはずだ。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%82%A4%E3%82%BA-%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BA/dp/4622074184

大学の頃、ちょうど『じゃがたら』を上梓した陣野俊史に現代小説を習っていたのだが、大学教授クラスでなくとも、音楽評論家レベルで、時代考証と作品の「精読」を行ったロック/ポップの本がもっと出されないとダメだ。

もっとも、日本のロック/ポップには、「精読」に耐えうる作品というのは本当に稀なのだが、90年代以降、つまりじゃがたら以降ということであれば、フィッシュマンズやZAZENBOYS、コーネリアスなどは、その対象としてはいいのではないか?

特に、フィッシュマンズと眠ること、凪としての日常と、過去と記憶、については、歌詞と音の組み立ての両方からアプローチできる。

そこまで分かっているのなら、お前が書けと言われそうだが、今書いている小説で少し触れると思うので、残りは誰かがやって下さい。僕は評論家ではないし、人の作品に関わるよりは、自分で曲を作った方が楽しいし早いので。