"Old Wise Man"

今日、猫を迎えるための部屋の片付けをしながら、父や弟の言動やその結果を観察しつつ改めて思ったのは、いろいろな分野の"Old Wise Man"を見つけることが出来るかどうかは、その人がおかれた環境、特に家族と高校、大学、そして、謙虚で好奇心を絶やすことがないかということが重要だということだ。

人は学び続けなければならないというのが個人的な信条なのだが、それに反対の立場の人も多いだろうから、社会でそれを口にする場はとても少ない。さもしい世情なので(そもそもさもしくない世情などというものは稀だ)、人々が「学ぶ」と口走る場合、会社のことか金のことなので、人生や文化について人様に「不勉強だ」という機会は、せいぜい学校を出るまでだ。まぁ、もう十何年も親交のある人たちには言い続けているので、単にうるさいオヤジだなと思われているのだが。

僕が親しみを感じたり、尊敬する人は、大抵、文学部出身だ。前の会社でも、何人か仲良くさせてもらった人は、大体文学部出だった気がする。文学部以外だと、日々"Old Wise Man"を見つける、そしてそれと親しくなったり、乗り越えたり、という行為の絶対数が、少ないのかもしれない。法学部や商学部や理工系の学部は、過去や類例や事実や数字ありきだからなぁ。
昔の物理学者や数学者は、文章も上手くて、流石だなと思ったものだが。今日、本屋で昭和の科学者たちの特集本が平積みになっていたので、ぱらぱらめくっていたが、効率だの金という言葉は目に入って来なかった。

ただ文学部でも、"Old Wise Man"って何ですか、と聞くような明らかに勉強不足な人は、知ったことではない。
それは人じゃなきゃだめですか、などと尋ねる人も、知ったことではない。


それから、僕を知る人で、ニートと思っている人もいるようだが、半年後くらいにはちゃんと自活している予定なので、ご自分の心配を優先して頂いて結構です。自分のしていることの価値くらい、自分で判断出来ます、あなたがたよりは知識もあるし、3つくらい(少ない・・・)の特定分野での頭は機能しているし、何より謙虚なので(笑)。

ただなぁ〜、信じてくれる人はいないんだよなぁ〜。僕はそっち方面では有言実行で通ってたはずなんだけどなぁ。
まぁ、大学のサークル繋がりの人には準備をしていることの内容を話していないし。
別に信じてくれなくてもいいけれど、何と言うか、働いている分偉いぞ、という思考回路で接するのは勘弁して欲しい。我が輩は多分、あなたがたよりは、いろいろな人生の局面に立ったこともあるし、辛酸も舐めているし、視野も広いし、感覚もまともになってきているし、何より自分の手にしているものの内容とその座標軸、時間軸も少しは理解をしている。

"Curiosity Driven"と"Mission Oriented"がかけ離れ過ぎていると、僕はてんでダメなのです。
それって何ですか、と聞くような高校生(並の人)のことは、もうどうでもいい。とりあえず、月に5冊は本を読みなさい。
オジさんは、もうすぐ31歳になるのです(・・・)。急がねば。
自分のことを「強烈な努力」でやります。
だから、ああそうですか、ようござんしたね、と見守っておいて下さい。