"Out There" 終わった。長かった。

夕方、終わった。同時に、小説の終わりも分かった。長かった。
この4年間の怨念の詰まった銀座線には当分乗らなくていいのだと思い、笹塚手前で地上に出てからは、15年前、生まれ故郷の相模原に帰って来たときに、文字通りの心の支えとなっていた曲を聞いていると、結局、また戻って来たのだなと痛感して、浸食の進んだコンクリートの木村屋工場が、曇り空にくすみ、じっと滲んでいった。

"Out There"、"Silent Kids"、"Ell Ess Two"、"Stop Breathin'"・・・・・・。

帰宅して、"I Don't Wanna Go there"を弾いたり、"Out There"や"Serve The Servants"をなぞったりしていると、15年前と殆ど同じじゃないか、「孤独」ではなく、"isolation"だ、自分の状況も家族も社会も、全てが憎くてたまらない、自分のやりたくないことに手を出すと、頭の中のジャイロスコープが狂ってゆくだけだ。

Teenage angst has paid off well
Now I'm bored and old
Self-appointed judges judge
More than they have sold


I gotta tell you silent kid
Don't lose your graceful tone

This is the city life
This is the city i came from
Let's talk about it
Come on now, talk about your family
Your sister's cursed
Your father's holding you down
Silent kid, don't listen to your grandmother's advice
Silent kid, don't listen to them

何千回没入したか分からない曲が、傷口に塩を塗り込むようで、痛くてたまらない。


また思い出して、腸が煮えくり返って来た。
土曜日に、二度と言わないと断った上で、散々説明したにも関わらず、一週間も経たずにこの様は何だ!
ふざけるのもいい加減にしろ!

昨日、今日とケンカをした家族各々は、半年後か一年後にこのページを見るだろうから、予告しておいてやる。『Back to your heart』は、現時点で100枚上がっていて、あと半分書けば終わる。その分も、既に書いてある部分の修正と接続なので、時間はかからない。8月前半には終わる。表紙の写真も旅行から帰ってきたときに選んである。何故カサヴェテスとエドワード・ヤンへの「献辞」(「献詞」ではない)で始めていて、expressionが誰のどの本の引用で、何のために引用したのかが洞察出来ない時点で、お前は勉強も努力も理解も不足しているんだから、お前の地点に俺を引きずり下ろすな!治療と平行して小説を書いて来て、その終了が交錯している意味を少しは考えて、反省しろ!生死に直結する作業と、お前のお遊びを一緒にするな!


ジョン・カサヴェテスエドワード・ヤン

expressionの表現という訳語は、あまりうまい訳語とは思えませぬ。            
expressionという言葉は、元来蜜柑を潰して蜜柑水を作る様に、物を圧し潰して中身を出すという意味の言葉だ。


次に吐き出すのは『補助灯』だ。俺はここまで分かった上で話をしているんだから、遮るな!
この十五年間、どれだけ苦しんでどれだけ努力してきたか、理解など出来ないのだから、お前の尺度で矮小化するな!
俺の劣化コピーばかりしてないで、さっさと働け!