『3時10分、決断のとき』/3:10 TO YUMA/James Mangold/2007年

■醜く横暴で、正義さえ添え物にしかならぬ継ぎ接ぎだらけのアメリカを自国のこととして認識しなければならない厳しさ


写真美術館のビゴー展とパナソニック美術館の坂倉準三展が終わってしまうので、ついでに新宿で『3時10分、決断のとき』を見た。新作映画で肝が冷えたのは、久しぶりだ。お化け屋敷やジェットコースターよりも、『3時10分、決断のとき』の方が効果がありますよ。

http://310-k.jp/

James Mangoldは、前作の『ウォーク・ザ・ライン/君に続く道』/Walk the Line/2005年を見て、演技だけでなくギター演奏と歌も渾身の力で叩き付けるJoaquin Phoenixの迫力と、まさにWalk the Lineそのもののというか、満身創痍になりながらも決意した道を辿る厳しさに驚いた。『許されざる者』/Unforgiven以後に、西部劇を、しかもオーストラリア人のRussel Croweとイギリス人のChristian Baleで撮った作品など、許されるのかと訝しみながら、既に予告編が開始していた朝一の回に滑り込んだ。

見始めてすぐ、尋常ではない峻烈さに、『ヒストリー・オブ・バイオレンス』/A History of Violenceや『アンダーカヴァー』/We Own the Night(絶対原題のままのタイトルの方がいい。)といったここ最近のアメリカ映画が想起された。

このリメイク作は、1957年のオリジナルのストーリーと、ラストシーンを除きほぼ同様らしい。とすると、この救いようのなさは、アメリカがその内部に抱え続けるものが半世紀を経て再び露出したものと言えるのだろうか。

金と威厳がないために、借金を重ね、悪に立ち向かえず、子供の薬代にも難儀し、妻からも思春期の長男からも蔑まれる郊外(町外れ)の、傷を負った男。他人の金を容赦なく武力で奪い、掟に背けば躊躇なく仲間ですら殺す男。盛り場から流れてきた酒場の女。残酷な私刑を下す自警団。金のためなら堂々と無実の民に銃を構える人々。

配役が巧みだという評価がJames Mangoldにはあるようだ。圧倒的な武力と仲間の援護を背景に、お前を生かしておくことの有用性について、俺を説得してみろ、と饒舌に囁くオーストラリア人のRussel Croweの醜さと横暴さ。そしてダークナイトトランスフォーマー4に顕著なように、端正であるがゆえに引き立て役の主役という、良心を見せたところでどうにもならない、添え物的役目に収まるイギリス人のChristian Bale。あえて二人の外国人に情けないアメリカを体現させた腕は、確かに見事だ。

そして、こうした厳しい自己総括を以て、ショットを積み重ね、Walk the LineならぬRun the Lineさながら、定められた目的の場所へとひた走るRussel CroweとChristian Baleの姿をこの上なくドライに収めたこのフィルムから目を逸らすことなど、許されるはずがない。

家族や仲間には裏切られても、良心の在り方を説き続けた聖書に導かれるように、白い十字架が装飾され「呪われた」拳銃を仲間に向けてまで、Christian Baleとその息子に、自分が納得した正義を示すため、自ら先頭車両の囚人車両の檻に入るRussel Croweの背後には、当然のように、黒い鉄格子が交差する檻がある。『許されざる者』の三度の十字架や、『グラン・トリノ』の文字通りの人柱としての十字架を想起せざるを得ない、彼の左側に大きな黒い十字架を掲げて見せるラストショットを見て、聡明な若手監督を幾人も持つことが出来るアメリカ映画の、力づくの偉大さに、感嘆の念とある種の徒労感を抱きつつ、中央特快で東京駅に向かい、噂には聞いていた丸の内の崩壊ぶりを目の当たりにして、あぁ、やはりな、と痛感した。酷さを認識している分、アメリカの方がまだ救い用があるのではないかとさえ思ってしまった。