シルビアのいる街で/ホセ・ルイス・ゲリン/2007

http://www.eiganokuni.com/sylvia/index2.html
http://www.nobodymag.com/interview/guerin/index.html

2年前のビクトル・エリセ蓮實重彦→大久保さんブログの檄文が話題になり、東京国際映画祭のチケットが完売したことで記憶している人もいるであろう『シルビアのいる街で』が7月末より公開している。昨年の同映画祭で『静かなる男』に捧げた『イニスフリー』でさらにホセ・ルイス・ゲリンへの期待が高まっている状況なので、混むだろうなぁと思っていたら、やはり好調な出足のようだ。公開から2週間目の先週、観に行ったが、客席は8割埋まっていた。ネット上でも多数の記事、コメントが引っかかるし、今更・・・、と思ったのだが、まだ観ていない友達のために書いておくのもいいかと考え直した。(そもそもこのページ自体あまりチェックしてない友人ばかりの気もするけど)

観た直後に、もう一度観に来なければならないな、という映画は年に数えるほどしかないと思うのですが、この作品は、その一本に値すると思います。

何を見ているのか、どこを見ているのか分からなくなる視線と、誰の視線なのかすら分からなくなる、視線というよりも情景が、カフェや迷路のような石畳の路やガラスの表面に、次々にイメージを出現させる。イメージの上に別の層のイメージが重なることで、新たな関係性のイメージが出現し、不意打ちのようなイメージが浮かび上がって来る。説話に効率的に奉仕するアメリカ映画とは真逆のショットが積み重ねられてゆく。恣意的に視野と焦点とを操ることで対象を混濁させ、また反対に、放置された窓のように全てを等価に映して意味をそぎ落とす。この二つの視線が様々に組み合わさることで、鮮烈なイメージが次々に生まれてゆく。そして、雑音が、雑踏が、教会の鐘の音が、クラブのダンスビートが、無音が、そのイメージを補強し、裏切り、奇跡が起きているのだと信じ込ませ、誘惑し、断ち切る。

映画とは、光と音で世界をフィルムに定着させたものだ、という言葉を聞いたことがありますが、その意味で、これほどスリリングな映画は、とても貴重だ。目の前で生起している光景に震える瞬間が幾度となく押し寄せてくる85分間。ヴァイオリンのテーマ曲も胸を掻きむしられるようで素晴らしい。そして路面電車と突風!来週また観に行こう!