シネマテーク・フラセーズで『枯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』(A Brighter Summer Day)が上映された。

権利の面で、日本での再上映が極めて困難になっている『枯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』だが、シネマテーク・フランセーズで始まったエドワード・ヤン特集において、先日上映が行われたようだ。
http://www.cinematheque.fr/fr/dans-salles/hommages-retrospectives/archives/fiche-manifestation/belle-journee-ete,12146.html
未完の遺作である『The Wind』(なんとアニメである)もついに上映にこぎ着けた。
http://www.cinematheque.fr/fr/dans-salles/hommages-retrospectives/archives/fiche-manifestation/the-wind-the-terrorizer,12144.html
東京国際映画祭、2007年のエドワード・ヤン追悼特集では上記2作は上映ができなかった。
監督の夫人も参加した特集初日の舞台挨拶では、セルジュ・トゥビアナが壇上で「後ろを向く振りをして、流れる涙を拭っていた」そうだ。どのような事情があったのかまでは分からないのだが、今回の特集も実現までは多難な道のりだったようだ。シネマテークに観客として駆けつけることができた幸運な人たちの言葉を追いかけていると、改めて、彼の作品と彼の人となりが多くの映画ファンに愛されているのだなと伝わってくる。


エドワード・ヤンの凄さは色々とあると思うのだが、個人的には、悪い状況や結果を覆すことが叶わずとも、それでも尚「正しくあろうとする」様を説くシーンがとても好きだ。

今作では、素行が悪いことで目をつけられている主人公の少年が、テストの際、クラスメイトに解答を写された側にもかかわらず、教師からはカンニングをした側であると理不尽に断罪される。自分は悪くないと主張を貫いたため、父親まで教師に呼び出されるものの、父もまた息子の潔白と、教師の不公平さを訴え、声を張り上げる。
そして、職員室を出た父が(息子も職員室に同席していたようだ。映っていなかったようだが)、息子とともに、自転車を押しながら二人で並んで歩いて帰宅するシーンに続く。


父:感情的になったのはまずいな 悪いクセだ だが官僚的な奴らは・・・
息子:怒鳴るの 格好よかったよ・・・ 驚いたけどね 

父:バカ言え 処罰くらい何だ 悪くもないのにペコペコあやまる奴は大きいことはできない 
  だが世の中 そんな奴が多いみたいだ だからこそ よく勉強して生きる拠り所をつかむんだ
  それが信じられないなら生きる意味もない お前は運がいい このことで落ち込まず奮い立つんだ 未来を信じなさい 努力しだいで開けるから


台湾出身であることや彼の人生やキャリアの多難さが、こういうシーンにどれくらい影響を与えているのかは分からない。だが、台湾出身であること、なおかつその作品が台湾の人々から冷遇されたことが影を落としているであろうことは否めないのではないか。エドワード・ヤン自身、「それが信じられないなら生きる意味もない」と、幾度となく自分に言い聞かせてきたのではないか。『ヤンヤン 夏の想い出』の居酒屋でのイッセー尾形の「ごまかしのない」手品と仕事の話のシーンでも、状況へのある種の諦念と、そのなかでも正しくあろうとすることが語られる。正しくあろうとすることは、とても難しい。だが、「それが信じられないなら生きる意味もない」のだ。


旧作の再上映企画のリクエストでは、しばしば上位に挙げられる『枯嶺街少年殺人事件』だが、こちらでも多くの投票を集めているようだ。http://www.dreampass.jp/


4時間の長大作であるが、一瞬の気の弛みも許さぬような時間が持続するこの作品を、スクリーンで見ることが叶う日は来るのだろうか。
年末にインタビューを読み直してみようか。

エドワード・ヤン

エドワード・ヤン