13/ザメッティ (劇場映画)/1

2007年04月16日 00:50

年度: 2006
国: フランス
公開日: 2007/4/7
それは、運命を狂わせる邪悪なゲーム

悪くはないが、良くもない。批判がしたいわけではないが、気になる部分があったので、書き留めておきたい。

 13人が輪になって、前の人間の頭を狙ったロシアンルーレットをさせられる状況に追い込まれる、というのがこの作品の「売り」だったようだ。
つまり、他殺でも自殺でもなく、確率によって、押し出される命 であり、いわば「確率死」とでも呼ぶべきものなのかも知れない。

 「確率死」には、自殺とも他殺とも異なる、それをカメラに収めるべき手法があるはずだ。手法が確立していないにも関わらず、作品を撮った結果、破綻が起きている。

 「円形のロシアンルーレット」がもたらす「確率死」には、プレーヤーが減ったところで対峙すべき他者は存在し得ないのだが、カメラは普通の殺し合いを映すように、切り返しを行う。「確率死」を強いる「理不尽」さと、その悪化を、リボルバーの弾の数の増加と死体と、掛け金の増加でしか示せない。弾はシリンダーの中に、死体は地下室に、掛け金は胴元の保管するスーツケースのなかに、隠される。
間接的に、つまり画面には映らない要素が状況の悪化を示唆する。しかし、画面の中で作用しない要素が増えたところで、見えないのだから、映画には直接的には関わってこない。

 「確率死」の、死の引き金を引くものは何か。確率の低い「確率死」と、それが高い「確率死」の違いは、どう違うのか?画面を観ていていも、僕には理解できなかった。

 この作品には、そうした、根本的な部分で設計ミスがあるように思えた。制作の打ち合わせで、そうした指摘はなかったのだろうか。いや、ないからこそ、フィルムノワール風を狙うことと、画面が暗いということは、結びつかないはずだということにも気がつかないのだろう。思想と様式を欠いた「スタイリッシュ」などないのに。
 
 こんなことを書いてはいるが、個人的には、映画の質というものは、海外の映画祭で賞を取ったことや、構造が破綻していることなどとは、あまり関連がないさえ思っている。その作品だけが持つ魅力的な画面シーンがあればいい。リメイクされるそうなので、その際には、そうしたシーンを期待したい。