イヤー・オブ・ザ・ホース (劇場映画)/5

2006年05月04日 03:25

年度: 1997
国: 米
公開日: 1998/09/19
ニール・ヤングとクレイージー・ホースの30年に肉迫したドキュメンタリー。監督はジム・ジャームッシュ

Year of the Horse/イヤー・オブ・ザ・ホース(1997)
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD30797/index.html

「2つ3つ質問をしただけで、このバンドの狂気に満ちた30年を理解しようなんて、無理な話だ。」サイドギターのポンチョは何度もジム・ジャームッシュ監督にそう告げる。

カメラを構えるということは、極めて倫理的なことである、といったのはどの監督だったか忘れてしまったが、少なくともジャームッシュはこの作品でもそれをよく心得えている。

16mmカメラとビデオを時折併用しているとはいえ、大半を監督とカメラマンとで「スーパー8」という8mmカメラで撮影したこの作品において、ジャームッシュは、自らが触れることができたものだけを実直にカメラに収めてゆく。

1996年、ドイツ公演終了後、『ライク・ア・ハリケーン』とそれを演奏するニール・ヤングがいかに凄かったかを興奮気味に語るファンのモノクロ映像、燃えるような赤い画面に「馬年」と縦書きされたタイトルバック、背後から徐々に聞こえ出す『ライク・ア・ハリケーン』に突入する前のあのノイズ。この映画を貫く「回転」の主題にふさわしく、無人の「ランドリー」には、画面左奥に白いドラム式洗濯機と木製の椅子が置かれ、入れ替わり立ち替わり4人のバンドメンバーが容疑者のように正面と横顔をモノクロ写真で撮影され、当のニールは、「名前はニール・ヤング。N・パーシヴァル・ヤング。クレイジー・ホースのギタリストだ」と名乗る。『ライク・ア・ハリケーン』のイントロのフレーズが鳴り響いたところで、1976年、つまり20年前のモノクロ映像につながる。

つまり、
モノクロ:ドイツのファン、メンバー自己紹介の写真撮影ショット(経歴)、20年前の映像
カラー:映画のタイトル、写真撮影以外のランドリーの監督が行うインタビューシーン

となっている。冒頭の『ライク・ア・ハリケーン』に興奮は、ドイツのファンのものであって、自らのものでない。20年前のバンドの狂騒にも立ち会えなかった。長い長いバンドの経歴。触れることができないものは、律儀に色を落として、モノクロームにするのである。

だからこそ、「クレイジー・ホース」とは何なのか、改めて問い直すために、メンバーを「ランドリー」に呼び寄せ、モノクロ写真を撮る際に、氏名と担当楽器をいちいち名乗らせた後、じっくりとインタービューで彼らを監督自身が掘り下げてゆくのである。

何より、スーパー8の画面には、16mmや35mmフィルムが捕らえたであろう繊細で詳細な映像も、深い焦点もない。文字通り手探りでつかんだものだけを、荒々しい画像とともに回収してゆく。わずか数分足らずのこの一連の流れを観せるだけで、ジャームッシュは鮮やかにその「倫理」を提示してみせる。

酔いの回った若かりしクレイジー・ホースは、テーブルで燃えさかる造花の炎をなかなかかき消せないでいる。彼らはその炎を96年のステージに鎮座するあの巨大な蝋燭の炎に点火したのだろうか、8ビートに乗せて「旅路をゆく愚かな流れ者」と歌い出し、この映画の公演も始動する。

クレイジー・ホースは、成熟を拒むかのように、愚かしくも、コーラスのフレーズを巡って何度も言い争う。各々がカメラの前で告白するように、妥協を許さぬ感情のぶつかり合い、それがバンドのエネルギーの源泉であるからだ。
 
そばにいることと、見つめることを混同してはならない。ジャームッシュの視線は、バンドの30年の歴史を、過去と現在とをひとつひとつ結びつけてゆく。
 
「かつて君と見た夢 今も変わらず 僕は見続けている」(『BIG TIME』)。
その夢を見ることが出来ないバンドの部外者であるジャームッシュは、スーパー8を携え、ツアーに同行し、インタビューとライブ撮影を繰り返し、最後に1996年のクレイジー・ホースが、20年前のクレイジー・ホースであり、30年前のクレイジー・ホースであることを発見する。

だからこそ、『ライク・ア・ハリケーン』で、現在のクレイジー・ホースの演奏する映像と過去のクレイジー・ホースのそれとが折り重なるのである。「まるでハリケーン」のように、「愛そうとしても 吹き飛ばされてしまう」ほどに激しく回り続け、風を叩きつける。メンバーが、時が、場所が、入れ替わろうとも、硬直などとは無縁に、ひたすら回り続けるエネルギー。ジャームッシュの多くのフィルムがそうであるように、この映画もまた、『ライク・ア・ハリケーン』のノイズとともに、始まりと終わりとが緩やかに接続されてゆく。冒頭に聞こえていた『ライク・ア・ハリケーン』のノイズが、ラストの『ライク・ア・ハリケーン』のノイズと重なり合う。その時、私たちは何故ニール・ヤング&クレイジー・ホースのライブのラストの曲は、必ず『ライク・ア・ハリケーン』と決まっているのかを、映画の始まる前よりも遥かに深く掴んでいることだろう。あるいは、あなたの手は、映画の冒頭と同様に、何も握られていないのかも知れない。しかし、あなたの手とあなたの目は、スーパー8の粗い粒子に終止包まれていたことを覚えているだろう。


昨今、「音楽ドキュメンタリー映画」が盛んに制作されているし、私たちもそれを観る機会に恵まれている。だが、その多くが、この作品の水準には達していないのではなかろうか。

先日来日したヴィム・ヴェンダースは、「Sence of Place」こそが自らの映画には欠かせないと語りかけていた。その土地を見つめることで、そこから立ち上がってくる現実、歴史、そしてそこに生きる人々と向き合い、それをフィルムに定着させてゆくということが、彼にとっての映画なのである。だから、カメラの前に起きていることを写し撮る限りにおいて、ドキュメンタリーとフィクションの差異は、さほど大きなものではないとも話していた。
 
そんなことは、映画に携わる者であれば当然の認識だと思っていたのだが、「ロック」だの「ジャズ」だの「ブルース」だのといった音楽のジャンルや、「ドキュメンタリー」という名称を隠れ蓑にするかのように、「音楽ドキュメンタリー」はカメラの前で起きていることが何であるのか、向き合おうとしていないようだ。
 
映画を観る歓びとは、嫉妬と発見である。過去の光と音を、スクリーンの上で再び蘇らせて、立ち会うことが出来なかった時間を体験し、そのカメラがなければ出会うことが出来なかった光景に驚くこと。
 
だから映画は、選びとった過去に責任を負う。映画評論を数ページめくれば、「特権的」という言葉が出てくる。カメラを構え、何をどのように映すのかという権利を有効に行使出来た映画だけが、その映画がなければ存在しなかった過去の光と音とを「特権的」に私たちに示すことを許される。
  
「音楽ドキュメンタリー映画」は、歴史小説でもなければコンサートビデオでもない。映画である以上、映画の権利を行使すべきである。(映画とビデオの差異という泥沼に踏む込むことはしないけれど、フィルムに刻みつけるのか、置き換え可能な信号に変換するのか、という物質的なことよりも、むしろ「映画」か「映画」でないか、という「区分」として考えたい。)

イヤー・オブ・ザ・ホース』を観ながら、『ラストワルツ』でアコースティックギターをかき鳴らす若かりしニール・ヤングと、その背後で、闇にまぎれてコーラスを添えるジョニ・ミッチェルの美しい姿を思い出した。

『ラストワルツ』を撮ったスコセッシですら、近年は思い出すに値する特権的な瞬間が刻まれた映画を制作出来ていないのだなと思うと、いよいよ悲しくなってきた。

映画を撮ることは、本当に難しいようだ。