春になると思い出すこと/イントレランス/不寛容

中学校の卒業文集は、スカイブルーの和紙で包まれた冊子だった。
文集というと、小学校の時も、中学校の時も、何故か修学旅行がいかに楽しかったのかを書く生徒が圧倒的に多い。
それらの大半は、言うまでもなく旅行日程を辿ったものであるから、つまらない。

K君は3年7組で、僕は4組だった。顔見知りではあるが、友達ではなかった。
彼の文章はとても変わっていた。僕ではなく、「俺」を使っていた。そして、最初の段落に、「映画の父、グリフィス」という言葉があったはずだ。『イントレランス』は、「不寛容」という意味であること。だが内容は、寛容さを説く作品であること。そして、自分の未来について妥協をしたくはないこと。だから、卒業を控えた今、「イントレランス」の意味をもう一度銘記しよう、という内容だった。

15歳の僕は、30歳になった。90年代の半ば、世界有数の映画都市・東京から200km北に外れた栃木県宇都宮市の中学生が、『イントレランス』を見て、しかも感銘を受けていたということが、どれほど希有なことなのかをようやく理解できるようになった。そして、修学旅行の暢気な思い出の山の中で、「俺」の「将来」について、妥協を禁じた彼の文章が、節さえない青竹のように静謐な直裁さを備え、未来へ伸びていたことに、改めて驚く。

15年前のK君は、良く陽に焼けた顔と、広い肩幅と、高い背丈を持ちながらも少し申し訳なさそうに猫背で歩く少年だった。彼は今、どうしているだろう。映画の仕事に就いているのだろうか。そういえば、彼は弓道部だった。キャメラを担いだら、まっすぐなショットを撮るのが得意な男になっていそうだ。

文集は、どこかに紛れてしまった。まだ挫折を知らないであろう若い言葉の危うさも理解出来る。それでもこうした春の夜にふと、まぶしさとともに、「イントレランス」という言葉を思い返すことがある。