強欲で不親切極まりない横浜駅を歩くことは、いったい誰が拵えた罰ゲームなのか?

横浜駅の改札を出て、直結している地下フロアに降り立つ。横浜駅は、僕の乏しい経験からいえば、不親切極まりない駅だ。歩いても歩いても、自分の現在位置を把握出来ない。案内板を見ても、複数の道が至る所で交錯している上に、それぞれの道の判別がつかない。今日は東口の地上に出るまで、ゆうに三十分を要した。地下道の体感温度は、二十五度近くあったのではないか。うんざりした。

まず、降車人口の多い大型の駅にあるまじきことだが、サインシステムが最悪だ。というよりも、サインシステムという概念がそもそも決定的に欠如している。駅も、そごうやその他の連結する商店街も、思い思いのサインを掲示している。統一性のないサインシステムは、当然のごとくシステムとして機能しない。森の木々のように乱立する商店の個別の看板や建物の内装のごちゃごちゃしたデザインに、サインが埋もれてしまっている。

次に、駅はテーマパークではない。なぜ地上に出るために、迷宮のように入り組んだ商業施設の通路を抜け、階段を上がったり降りたりする必要があるのか。横浜駅を降りた乗客は全員、そごうか、地下商店街に立ち寄るとでも考えているとしか思えない設計だ。

苦労して地上に出ると、ビックカメラが見えた。ここは東口か、西口か。案内板を見ると、高島屋があれば西口、そごうがあれば東口のようだ。しかし、目の前にはアルミホイルで包んだようなゲテモノ趣味のビルしか見当たらない。老舗百貨店らしき建物は、どこにも存在していない。僕が知っている高島屋は、銀座と新宿のそれだ。間違っても、あのゲテモノ・アルミホイル・ビルではない。

高島屋らしきビルは見えないが、どうやら西口に出てしまったらしいと気付き、ぐったりと疲れて、地下道に戻る。また迷宮だ。出口と書かれた方を目指してゆくと、行き止まりとトイレがあった。いい加減にしろ。長い長い通路を引き返し、別の道を進む。階段がある。ようやく地上か、と昇ってみればバスターミナルで、しかもそれは柵で進路が塞がれており、道路には出られない構造だった。監獄か、ここは。

階段を降りる。また別の道を進む。行く手には、東口と書いてあるのだが、目の前にはそごうの地下一階と思しき入り口と、そごうの一階に続くと思われる階段しかない。つまり、そごうに入る誘導しか見えない。そごうには、全く立ち寄るつもりはないし、これまで生きてきて、立ち寄ろうと思った事すらない。
どこだ、地上は。

途方にくれて、頭が痛くなってきた。ひとまず、ジャケットを脱いだ。言い訳をするわけではないが、徹夜明けだ。体調も決して万全ではない。もう道端に座ろうかと思った。座っても良さそうな場所を探すが、そんなものはどこにもない。テーマパークですら、ベンチのひとつくらいはある。そごう様は、弱者のことは、一切考えていない模様。メインターゲットはシルバー世代なんですよね?
もう、地上に出ることを諦めかけたが、数ある階段のうち、少しだけ人数が多い階段があり、気になったので着いて行ってみると、幹線道路に出た。

訪問者に対する不親切さにおいて、あるいは連結する商業施設への集客を何よりも優先することにおいて、ここに勝る駅は、果たして存在し得るのだろうか。
道を歩いていると、四月中旬に、開港一五〇周年を祝う行事の看板がところどころに立てかけてある。

一五〇年も経って、この有様なのか。他所から来た人を迎えようという心構えが少しでも残っているのならば、そんな行事につぎ込む金を全額、サインシステムの改善につぎ込んで欲しい。最悪だ、本当に。池袋も酷いと思ったが、比ではない。池袋も、ミレニアムリテイリングの西武だ。新文芸座が、渋谷か新宿に移転してくれれば、僕は池袋に行かなくて済む。何とかならないだろうか。横浜駅池袋駅には、可能な限り降りたくない。