『ミルク/MILK』中央線と地方出身者の親和性、路とStreetの違い

吉祥寺バウスシアターにて『ミルク/MILK』Gus Van Sant/2008 http://milk-movie.jp/main.html
Gus Van Santのフィルムということで期待していたが、『エレファント』、『ジェリー』、『ラスト・デイズ』の3部作には及ばず。
ただ、いくつか思う所があった。

・俳優が充実している。ゲイの活動家、しかも70年代の時代の実話が題材で、当然存命者がまだいる、という非常に厳しい制約のなかで、脇役に至までこれだけ良い俳優が揃うのは、流石ハリウッド。日本では絶対不可能ですね。

・欧米、特にアメリカの「政治」がテーマの映画を見る度に、言葉を群衆に投げかける政治活動を行う市民・議員の姿がとてもかっこ良く見えてしまう。思いを託した言葉を拡声器やマイクでヴォリューム・アップして人々に訴えかけるという行為に、彼らは長けているからだ。つまり、それはある種、言葉で煽動出来るか否か、言葉で人を動かすことが出来るか否か、ということである。日本の戦後の政治家、政治活動家の「演説」がある種条件反射的に引き起こしてしまうきな臭さ、嘘臭さは、半ば彼らの自業自得とはいえ、何でこんなに差が出てしまうのか、と思って情けなくなる。

オバマの選挙運動を契機として、政治と言葉についての言及が増えて来たと思うが、所詮それは文芸誌などのもの凄く小さなメディアに留まっているようだ。『ミルク』を見た人のいったい何%が、そうした雑誌を手に取るだろうか。或は、そうした雑誌の編集者は、ショーン・ペンアカデミー賞を受賞したことで少しは話題になったこの映画にあわせて、政治と言葉という特集をもう一度組んだりタイアップしたりしないのだろうか。

・舞台となったサンフランシスコのカストロ・エリアだが、40年前のストリートの状況が今もある程度は残っているようだ。カストロ劇場も現存しているし、あの一帯がヒッピーやロックやゲイの文化を残しているので、世界中から人々が訪れている。街がパワーを持つためには、現在だけでなく、過去の記憶をなぞることが出来なければならないのではないだろうか。現在の魅力しかない街は、賞味期限が短い。当然のことだが、駅であったりオフィスであったり特定の店であったりと、限定的な機能しか提供出来ないということは、その機能を必要としない時間は不要であり、その代替機能が別の場所に出現すれば用済みになるからだ。

・バウスに行くまでの吉祥寺の駅から伸びる商店街も、用があって行った中野も、歩いていて本当に不快だ。まず、道が狭すぎる。そして、集団で訪れるおばさん、若者グループのマナーが悪過ぎる。立ち止まったり横に広がったりしていてこの上なく通行の邪魔だ。商店も自己主張しか考えていないので、デザインもバラバラだし、通りに商品や看板を競って出すので、余計に歩行の妨げになる。

・中央線沿線の街は、戦後の闇市のようで好きになれない。しかし、何故か地方出身者は大学進学を機にやたらと住みたがるようだ。特に男性に多いような気がする。ごちゃごちゃとして手狭な感じが、手を伸ばせば必要なものが揃う自分の部屋のようで心地よいのだろうか。

・『探偵のクリティック 昭和文学の臨界』/すが秀実/1988/思潮社 の、横光利一の『上海』の所を読んでいる。大学の頃読んだっきりの『上海』なので、殆ど忘れていたのだが、上海の猥雑な通りを食道として描写しているとの指摘に、そういえばそうだったと思い出して、ふと横光の出身地を調べたら、福島だった。アジア的なゴミゴミした通りを好む(或は接近したがる)人と、そうでない人の感覚の差に、地方出身者であるか否かというのは、影響しているのだろうかとふと考えた。

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僕は、関東は茨城以外の全ての都道府県に住んだ事がある。だから、地方の街も、東京の街も体験しているのだが、どうもアジア的なゴミゴミは好きになれない。家から自転車で10分の所に、千歳烏山、祖師谷大蔵、成城があるのだが、成城以外はゴミゴミしていて嫌いだ。そもそも、世田谷は畦道が元になっているから、道が狭い。成城がゴミゴミしていない理由は、成城学園の開設に伴う土地の買い占めと、建築に街の規制がかかっているためと聞いたことがある。人工的に開発された街の方が、自然発生的に成り立った街よりも、かえって住みやすいのだろうか。

・欧米の映画に出てくる街は、馬車や馬のための通りが自動車のための通りとして残っているためだろうか、道幅もある程度確保され、町並みにも規制がかかり、といった人工的に発達してきた様子が伺えることがしばしばある。『ミルク』のサンフランシスコもそんな街だろう。六本木のように、過去を消し去り機能しか残っていない街とは正反対だ。(六本木に仕方なく行く度に思うのだが、WAVEとシネ・ヴィヴァンを葬り去った時点で「文化」などという言葉を口にすることが六本木のデベロッパーには許されないのではないか。毎回毎回腹が立ってどうしようもない。)日本に、サンフランシスコのような過去から現在へと伸びている魅力的な「ストリート」を有する街は存在しているのだろうか。ちょっと考えてみたが、思い当たらないのが残念だ。

・梅本先生の短評によると、「とてもブレヒト的な意味で、このフィルムは教育的なフィルムなのだ。そこには異化効果と弁証法が常に存在している。」とあって、オバマ以外にも、過去のアメリカの選挙運動が想起されるようだが、残念ながら僕はその時代のことを体験していないか、接していないので、「既視感」を感じることが出来ない。勉強不足だ。http://www.nobodymag.com/journal/archives/2009/0509_0422.php

・クリエイティブ都市論—創造性は居心地のよい場所を求める/リチャード・フロリダ/ダイヤモンド社/2009 を買ったまままだ読んでいないのだが、どうやらリーマンショック前に書かれたために、実情とそぐわない部分が多々あるようで、余計に後回しになりそうだ・・・。う〜む。http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%96%E9%83%BD%E5%B8%82%E8%AB%96%E2%80%95%E5%89%B5%E9%80%A0%E6%80%A7%E3%81%AF%E5%B1%85%E5%BF%83%E5%9C%B0%E3%81%AE%E3%82%88%E3%81%84%E5%A0%B4%E6%89%80%E3%82%92%E6%B1%82%E3%82%81%E3%82%8B-%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AD%E3%83%AA%E3%83%80/dp/4478006199/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1241964678&sr=8-1