誰かご存知の方は?/画面を横切る/落下する/受難/パッションとしての/生体と死体、キリストと羊を一つの肉体で内包するものとしての/死体でありながら動く物体/肉体としてのプロレスの身体

The Wrestler/レスラー について、nobodyのチミノのことや、公式パンプの評論を2本流し読みしたのだが、画面を横切るというか、落下する身体について書いていなかった気がする。『カリフォルニア・ドールズ』やオルドリッチに関する蓮實さんの文も再読したのだが、やはり書いていない。(書いてあったと思っていたのだが。)

仕方なく、評論家の参照は諦めて、ひとまず『カリフォルニア・ドールズ』を見直そうと思ったが、新宿ツタヤからは消えている・・・。

"They Live"のあの5分以上のストリート・プロレスでも、主演の元プロレスラーがゴミ収集場の前のコンクリートにスキンヘッドの黒人の頭をバックドロップで叩き付けるという無茶をしていたが、やはりプロレスラー、およびその身体というのは、筋書きのある戦いと、相手の技を耐えるための身体という意味で、ボクサーとその肉体とは決定的に異なるのではないか、と考えている。純粋なリアルファイトではないのかも知れないが、その代償として、リアルファイトでは受ける必要のない攻撃に、或は、観客の欲望(必殺技/善玉・悪役としての振る舞いなど)に、過剰に耐えなければならない。

恐らくはロシア系の移民の血を引く男として、つまり職業の選択の余地など残されていないブルーカラー貧困層としての、ミッキー・”ラム(生け贄の子羊)"・ロークが、なぶり殺されてゆく見せ物/スペクタクルとして、過剰な光量に晒されたマットとともに、文字通り血飛沫を上げて、プロレスの名のもとに繰り広げられる。

結果として、十字架に磔られたように、観客と敵から仰ぎ見られると同時に、すぐさまその地位を抹消され、処刑された後の身体として、限りなく肉体を伸ばし、或は固くすることで、空中でうつ伏せになる、死後硬直後の肉体として、敵の元へと落下してゆく。マットの上でうつ伏せになっても、観客からはよく見る事ができない。ならば、観客の視線を集めた後、空中で死体と化せばよい。プロレスラーの肉体は、過剰な攻撃/受難に耐えるために、訓練に訓練を重ねて、筋肉に筋肉を重ねて、大きく、厚くなり、それによって、より重力が加重され、凝固した肉として、生肉ではなく、食卓に上がるべく調理された死を経た後の固くなった肉として、プロレスラー以外の身体では実現し得ないほどに、誰よりも早く、重く落下する。そして、既に死体として、仰向けにされた敵の肉体を、決定的に殺すため、死の3カウントを審判に宣告させるために、自らの肉体を、死の儀式を終えたばかりの肉として、つまり、我々の代表であったものとして、敵の心臓と自らの心臓を接触させる地点へと、観客の期待と重力を過剰に背負った身体として、落ちる。既に生け贄となった肉体を、死後硬直間もない肉体でもって、押さえ込み、マット/生け贄のためのステージからの退去を求めるものとしての、審判に死を宣告させるために、落ちる肉体を披露する者であるところのプロレスラー。生体と死体、キリストと羊を一つの肉体で内包するものとしてのプロレスラーの身体。それは、死体でありながら動く物体/肉体である。

『レスラー』のラストでも、また『カリフォルニア・ドールズ』でも、トップロープに昇った選手が、マットで待ち構える/伏せている/すでに死んでいる/死に体の/敵を目がけて、つまり筋書き/要望を実行する行為として、落下してゆく。

そのようなものとしての、硬直した身体が、2メートル以上の高さから落下するという光景は、プロレス以外ではまずあり得ない。(撃ち落とされた/絞首刑にあった肉体は、硬直が始まる前に、柔らかいままで、他者の力(銃弾/処刑者)によって地上に落とされるので、区別すべきではないか。)



こうしたことと、演技することや肉体を痛めつけること、傷を負うこと、などについて考えていたのだが、どこをあたれば参考文献にありつけるのかが分からない。

とりあえず、気分転換もかねて、明日は大学の図書館に入ってみるつもり。
そもそも、あのぼったくりの大学提携クレジットカードで本当に入場できるのだろうか?
卒業してからは一度も図書館には入場したことがないんだよなぁ。
なんか、文キャンも本部キャンパスも、新しいビルがバカバカ建ってるみたいだし、
期待している大学のイメージはもうないんだろうなぁ。