反戦映画について/The Long Grey Line /長い灰色の線 /John Ford/(1954)

毎年、多額の予算を投じて感心も感動も出来ない反戦ドラマを制作することが、日本のテレビ局の慣習となっている。来月の15日にも、恐らくそうしたドラマがしたり顔で放送されていることだろう。国会の予算獲得と箱もの行政と何ら変わりがないように思える。

先日テレビで見た自民党の議院たちが、アニメの殿堂という全く作る必要性を自民党員の他は感じていない箱ものについて、中身なんて後からでいいじゃないですか、エンターテイメントが悪いとでもいうんですか、などと得意げに口走っていた。そもそもなぜアニメなのか、溝口、小津、成瀬、マキノでなくて、なぜ子供の見るアニメなのか、ということを考えもしない、箱の中身はおろか、自分の頭の中身すら満足に考えてはいないことを露呈していて、自民党の支持率をわずかな放送時間で確実に下げることに貢献していた。

視聴率を惜しげもなく落としているテレビ局の現状も、大差がないのだろう。

梅雨が明け、各地で今年一番の暑さを記録したなか、出歩く気にもなれず、もちろんテレビを見るほどお人好しでも暇でもないので、『The Long Grey Line /長い灰色の線 /John Ford/(1954)』を見直していた。

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人は学び続けなければならない。
その機会を与えるものが、大学であれ、士官学校であれ、年老いた父の言葉であれ、親子ほど年の離れた教え子たちであれ、賢母という他ない妻の存在からであれ、学ぶべきものがあるのであれば、それによって自己を鍛錬すべきである。

反戦を誓うのであれば、自国だけでなく、他国の祈りも蔑ろにして良い理由はない。
反戦を描くためには、必ずしも戦闘や流血を映さなければならないという理由はない。
笑いの途切れることのない65分を経て、涙の途切れることのない66分がそれに続き、
West pointの行進を横切ったアイルランドの移民の男が、West pointの行進によって帰還を祝福されるという、
軍歌アレルギーの左翼知識人・教員には到底思いつくことさえ出来ぬ演出で、映画の最初と最後を接続して悪いという理由も、もちろん存在しない。

これほど見事な反戦映画が撮られることなど、今後決してないのだから、終戦わずか10年足らずの、55年前のアメリカ合衆国の、幹部候補生養成機関である陸軍士官学校を舞台としたこの映画を、視聴率と企画力と演出力と演技力を決定的に欠いた日本のテレビ局に携わる者たちは、学び、或は放送して学ぶ機会を日本の国民に提供すれば良いのではないだろうか。

John Fordがどのくらいタカ派だったのかを議論するよりも、或は「リアリズム」やその後の歴史で明らかになった事実の欠如をもって貶めるよりも、"The Long Grey Line"がどのくらい高潔なフィルムであるのかを問うほうが、反戦には遥かに有効であると、僕は信じる。