高峰秀子を見にくるおばさんたちに、生半可な映画が通用するとは思えない。/没後四十年 成瀬巳喜男の世界

神保町の映画館と覚えていたので、岩波ホールに出たのだが、三省堂の裏路地を入ったところの、灰色のつぼみが割れたような神保町シアターというミニシアターであった。入り口の右手が吉本、左手が東宝であるようで、待ち合いロビーの客層が、十代の女性と、シルバー世代+暇な若い映画ファンとくっきり分かれている。吉本コーナーでは、噂のオモシロクナールを売っていた(笑)。
http://www.shogakukan.co.jp/jinbocho-theater/

昨日は、上映二時間前に『放浪記』/1962のチケットを入手したが、しばらくして売り切れになったようだ。成瀬のなかでも、特に優れた作品だとは思えないのだが、高峰秀子ファンとしては、ぜひスクリーンで仰ぎ見たかった。全編、彼女の朗読の音声が被さり、田中絹代とちょっとした悲劇と喜劇を行い、歌ったり給仕をしたり、妙な化粧をしたりと高峰秀子の芸達者ぶりが収められている。

とりわけ心に響いたのは、雨の降る和室に座って、黒糖と思しき四角い飴を口に出し入れしながら、もぞもぞとふてくされて喋るシーンである。また、冷酷な夫の仕打ちに思い切り涙を流したあと、田中絹代の方を向いて、舌を出して一瞬でコメディにしてしまうシーンである。

1924年生まれの高峰秀子は、撮影当時、40歳手前であるにも関わらず、こうも子供じみたことを雑作なく行って、しれっとした顔をしている。特に、前者のシーンなど、並の女優であれば、顔の造形が極端に崩れ、態度もふてくされ、とその女優のキャリア史上最も醜い姿を晒すことにもなりかねないのだから、拒否しても仕方ないのではと思える演出である。だが、幼少より大スターであったデコちゃんにとっては、全く何でもないことなのだと思えるほど、圧倒的に映画として輝いている。窓の外には雨が降る和室に座って、飴を舐めて、あまつさえ顔をあちこちねじ曲げるという、ほとんど冗談ではないかと思えるシーンも、成瀬組の名人と、日本最高の大スター高峰秀子にかかれば、高峰秀子の存在感でもって、雨も飴もその背後にすっと沈んでしまう。それを目撃することは、殆ど魔術に近い。

化粧をするよりも、化粧を落とす方が、真面目に突っ立っているよりも、ふてくされていたほうが、つまり特段構えずとも、存在そのものにより近い姿でキャメラの前にいることの方が、映画に張りを与え与えるという意味で、高峰秀子に勝る日本の女優はいないのではないか、と個人的には思っている。高峰秀子の映画を毎年見る事が出来た、とりわけ50年代、60年代が、本当に羨ましい。

あとひと月、上映が続くので、往年の高峰秀子ファンに負けないように、若い世代も通った方がいいと思いますよ。

もうちょっと書こうかと思ったのだが、もうそろそろ神保町に行かないと、チケットがなくなるので!