トラウマが更新される世になった。/『よみがえるビートルズ 完全版』/BBC/NHK/2009

最近、モノ録音に関する話題が増えた。
青山真治が、爆音映画祭黒沢清とのトークショーを欠席して、話すはずだった映画に於けるステレオとモノラルについてまとめた文章を観客に送ると約束しておきながら反故にしたり、同じくboid湯浅学のモノラルを含むレコードを爆音で流すイベントを行ったり、文学界(2009年9月号)で読んだいしいしんじの「私のマエストロ 第五回 フィル・スペクター』では、彼が体験したモノラル・レコードのサウンド表記が極端にデフォルメされていながらも、多分自分も聴いたらそう感じてしまうのだろうなというデフォルメされたが故の説得力に満ちていたり。

古い形式のモノには余地がない。音を左右に振り分けることが不可能なので、音を一つにまとめるしかない。イコライジングでもしない限りは、再生する時に、音のバランスは一定のままだ。つまり、制作者側に絶対的な権力がある。「フィル・スペクターは七〇年代、ステレオミックスが標準になっていた時代に、『BACK TO MONO』と記されたバッジを胸につけて写真に収まっている」という文で始まる、いしいのフィル・スペクターのモノ体験は、故にスタジオで王者として振る舞っていたフィル・スペクターがモノラル・レコード込めた音の塊にひたすら翻弄され、脳を揺さぶられるものとして綴られている。

ステレオや多チャンネルは、再生する音によって、音の場、言わば音場を作り出す。それにより、疑似的に制作者が制作段階で身を置いていた音響現場を、左右から、あるいは周囲からの出音により視聴者の現前に再構築させる。対してモノラルは、音を単一の信号として、一方的に視聴者の前に送り出し、通過させる。当然、頭の中に音場を作り出すヘッドフォンによる再生環境など、念頭にない。それは、塊として、叩き付けるものとして、再生されるべきものとして制作されている。劣化した音が消費される世の中で、制作者側が信念として送り出した音に、姿勢を正して耳を峙てるというのは、決して悪くない行為ではないか。

ビートルズの曲を、ヘッドフォンで聞いて気持ちが悪くなった体験は、広く共有されているだろう。左右のチャンネルへの、歌や楽器の極端な音の割り振りが原因だが、根本的に、ビートルズジョージ・マーティンも、基本的にはモノラルのことしか考えていなかったことは、今回初めて知った。となれば、ステレオで聴いて来たこと自体が、そもそも間違っていたことになる。大変なことだ。

それで、一応視聴してからと思って、タワーレコード渋谷店の3階の旧版/リマスター盤比較CDを聴き、というか正直に言えば、1階の視聴機で最初に聴いたステレオの"COME TOGETHER"の音像のあまりの別物っぷりに、今回のリマスター盤の音の改善が著しいと分かった。『LET IT BE...NAKED』の時も驚いたが、今回はキャリアの全編に渡るものだ。
これは腹をくくってBOXを買うしかないなと思ったものの、流石に4万円なので、念のためによく視聴してからにしようと3階に上がったのだが、出てくる曲出てくる曲、笑ってしまうくらいに音が違うので、観念して買った。一緒に買った本を読んでいると、エンジニアがmp3での視聴は考慮していないと話していて、素晴らしいと思った。リマスターしたのに、圧縮して高音も低音もばっさり切った音に劣化させて聴いてどうする。

"THE BEATLES MONO BOX"
http://www.emimusic.jp/beatles/special/20090909_2.htm#album3

完全初回限定らしいので、いろいろ他のものを我慢しても買っておくべきです。
僕は冬服を完全に諦めました・・・。
ステレオ盤は、買い足します・・・。


まぁ、ここまではいい。
さっき、BBCが制作した『よみがえるビートルズ 完全版』を見たのだが、未公開映像で作っただけあって、見た事のないビートルズがわんさか出て来て、とても困った。
http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2009-09-11&ch=21&eid=16525

古い映像は、ノイズが除去されてとんでもなくクリアになっている。モノクロに着色している映像もある。写真を組み合わせて作り出した映像もある。60年代、70年代の有名なロックバンドは、何故か年齢不詳なルックスの場合が多く、映像で見ると無闇に年を取って見えることがある。ビートルズはその筆頭なのだが、今回見る事ができた映像では、彼らも当時は、確かに20代の青年だったのだということが伝わる鮮明なものだった。特に、ジョンの若さには驚いた。

個人的に、ロック三大トラウマ映像というのがある。"An American Band"のなかで"Surf's Up"をピアノで弾き語るBrian Wilson、WOODSTOCKとワイト島のJIMI HENDRIX、そして、"LET IT BE"のTHE BEATLES"なのだが、承知のように、一足早くリマスターと未発表トラックの発掘が大幅に進んだJIMIは、当時の正しいWOODSTOCKの再現を目指してリマスターされた結果、未発表曲が追加され、曲順も変更され、埋もれていたベースを中心に音のバランスも改善され、旧バージョンとはがらりと変わった。特に、音質のいいDVD版は、映像も加わったことで、今まで見聞きしてきたライブは何だったのだろうか、という程の、文字通り驚愕だった。

BrianもJIMIもTHE BEATLESも、それぞれ60年代末期に終焉を迎えて崩れてゆく様が映像に記録されており、一時代を築き上げた巨大な才能が潰えてゆくことで、それが継承され得ないものであるために、ひとつの時代の終わりを迎えるのだと、途方に暮れながら見ざるを得ない。それ以後にも、小康と復活や死やソロ活動などが控えてはいるのだが、上記の映像では、ブラックホールのような引力が、ミュージシャンからパフォーマンスの部分を除去してしまった結果、彼らの演奏や歌声や呟きのなかに、剥き出しの感情がゴロンと横たわっている。「最期」の闇に濃厚に包まれて、余裕をなくした彼らの、断末魔の叫びが、絞り出されている。少なくとも、追体験する僕にとってそれは、痛みを要求される、大いなる打撃である。

そもそも、トラウマが再生される、ということ事態、妙なことだが、数十年後に実は・・・・・・、とより質が高く、生々しい別物を差し出されると、それらが決定的な終わりであったが故に、まだ過ぎ去っていない現在として襲来する、という酷く混乱した事態に陥る。トラウマが更新される、という奇妙で暴力的な出来事は、一方的な通告であるが故に、モノにこそ相応しいのかも知れない。

先程目撃した"LET IT BE"では、"LET IT BE"の主役はポールだとずっと思っていたのだが、やはり大変苦労していたようだ。
眉毛を上げて歌に没頭するポールの額に皺が何本も寄っていた。まだ26、7歳だったのに。そして、グラス・グリーンのボタンシャツを着たジョンの持つペン軸の色は、雨の日の子供のビニール長靴のように、まっさらに無邪気な黄色だった。リンゴのオレンジのジャケットは、てかてか光っていて面白くて、ジョージのくすんだサドルシューズは変な配色だった。

少しだけ、神格化が和らいだ。同時に膜が取れて、ビートルズの恐ろしさが深まった。



あと、関連本がいろいろ出ているが、エピソードは分かっても、肝心の音のことがさっぱりなので、これも合わせて買うといいと思いますよ。

サウンド&レコーディング・マガジン2009年10月号』ザ・ビートルズ、リマスター完了。
http://www.rittor-music.co.jp/hp/sr/

「ひずみ系プラグインで手に入れるアナログの質感 」と
DAWの音質比較ができる素材を作ってみました! 」を、この号に入れたことに感謝します。

ビンテージ機材で録音されたマスターを、Pro Toolsで読み込ませて、リマスタリングする、というのが、最近のリマスター作品ですからね。果たして、ビートルズプラグインを使ったのだろうか。

そんなこんなで、また作業が停滞する。
砂浜に放っておいたら、デジカメも壊れたし。