『四川のうた』/ジャ・ジャンクー/2008

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■中国の過呼吸

写真と映画は、呼吸という運動によって隔てられる。レンズの前の風景や人物を捉えるだけでなく、編集によってそれ同士を結合させる。外気を内部に保持し、編集とスクリーンへの投射によって保持したという記憶を思い返す。『世界』、『長江哀歌』に続く、ジャ・ジャンクーの新作は「420工場」という軍事工場が50年間の運営を停止する物語であるようだ。10万人の人々が生きてきた工場と町が消滅する。実際の「420工場」の人々と4人の俳優、そして流行歌や古典詩がスクリーンに現れては消えてゆくのだそうだ。光と音の残像/響としての、しせんのうた。いい邦題だと思う。

広大で過激な中国という国は、長江を塞き止めて三峡ダムを作り、10万人が生きた町の歴史を止める。
小さなレンズでは捉えきれない、その膨大な外気の変化をそれでも尚保持しようと努める時、ジャ・ジャンクーの映画には過呼吸のように激しく記憶がむせ返る。ドキュメンタリー、フィクション、そうした区分ではなく、「エ/モーション」としての映画。

4/18(土)より、ユーロスペースにて上映が始まる。
東京や横浜にもジャ・ジャンクーがいれば、と多分また思うのだろう。

と書いたところで、「エ/モーション」がヴェンダースの言葉だったと確証を持てない自分の頭の弱り加減に困ってしまいました。ちょっと紅茶でも飲みます。