『乱れる』/成瀬巳喜男/1964/東宝/ 畏怖について

土曜日に仔猫が二匹、来る事になっていたので、今月は何度となく東宝日曜大工センターに買い出しに行った。東宝スタジオは、ここ四、五年で改修工事の進み、外観からもそれを垣間見ることが出来る。大工センターの入り口手前付近は、立て替えられたのか、外壁を塗り替えただけなのかは分からないのだが、いつの間にか壁が白くなり、その壁に『七人の侍』が描かれていた。その絵を背景に、スタジオ・ゲートには、ゴジラが尾でアンダーラインを「引っ掻いた」銀色のモニュメントのようなものまで作られていた。神保町シアターに通っているので、成瀬組がドラマ部分で関わったゴジラを別とすれば、成瀬巳喜男のモニュメントはあるのかな、と思いながら、かつて砧スタジオと呼ばれた施設を右に見やりつつ、茶色く古いままの大工センターのゲートを自転車や車で越えていった。

日曜日は、家に来て二日目の夜だったので、猫たちは土曜日よりも落ち着いてくれていたが、それでもばたばたと走り回ったり、突然足に噛み付かれたりするので、なかなか寝付けないままの重い体で、のろのろと朝ご飯を食べ、『乱れる』を見に行った。


成瀬巳喜男のフィルムの大半は、スクリーンで見たことがない。成瀬巳喜男の生誕百周年関連イベントがあった2005年は、就職しようかと思い立ち、既卒生として就職活動しており、忙しかった。

梅本先生が、早稲田に非常勤で一般教養の科目を担当されていた際、僕は都合三年間潜って聴講した。
留学仲間四人で(松浦寿輝はいたのだろうか?川瀬武夫先生は映画を見ないと仰っておられたので違うだろうが)、パリで初めて『乱れる』を見た後、号泣しながら車を運転して帰り、縦列駐車して降りると、前から蓮實重彦が歩いて来て、何故泣いているんですか、と聞かれたそうだ。『乱れる』を見て来たのです、と答えると、ようやく君たちの人生が始まりますね、と仰られて、去って行ったと講義で話して下さった。

それ以来、いつか『乱れる』をスクリーンで見たいものだ、と願い続け、ようやく今回、その機会を与ることになった。

上映までの間、買い逃していた『成瀬巳喜男の世界へ』を求めて三省堂書店へ。四階に上がると、成瀬のコーナーが設けてあり、その中に『成瀬巳喜男の世界へ』が積んであった。手に取ろうと平台をよく見ると右端に『キネマ旬報』が一冊だけ置いてある。書店員の方の手作りだろう、表紙に白黒でコピーした文面が貼付けてある。

独占インタビュー 高峰秀子 成瀬巳喜男を語る。
取材・構成 斎藤明美 

成瀬さんが死んだ時、私もこれで女優おしまいと思った

成瀬巳喜男監督の生誕百周年に於いても、沈黙を守り続けた高峰秀子が、『高峰秀子の捨てられない荷物』の著者の願いを聞き入れ、遂にインタビューを受けていたというものだった。取材時に撮影された写真であろうか、白地に赤かブルーのボーダーという、フランス人が好みそうなカットソー姿で口角を少し上げた写真と、直筆サインが添えてある。

店内であることなど理由にならず、涙が出てしまった。
震えながらその雑誌を持ち上げ、少し落ち着くまで待ち、レジに向かった。

どんなことが書いてあるんだろう、どんな写真が載っているんだろうと思いながらも、渋谷のツタヤで1ヶ月近く返却を待ち続けていた『カリフォルニア・ドールズ』を借り、Muddy Watersのように、VOLとTONEノブをFender Ampのものに交換するためのパーツを探しに秋葉原に行き、小雨の降るなか、神保町まで歩いて戻った。

昨日の初回に上映されていた『あらくれ』も観たかったのだが、仔猫を放っておくことは出来ないので、今回は諦めた。

入場時間が迫ると、ロビーに人が溢れる。今日もなかなかの盛況だ。
『乱れる』を見終えた後は、涙を流し過ぎて頭が痛くなっているだろう、中年以降の男女の来客が目立つので、またマナーの悪い客ががさごそとビニール袋から食べ物を取り出して、貴重な上映の邪魔をするだろう、そう判断して、上映前のロビーで、アンケート用紙に中年以降の男女のマナーの悪さを改善する対策を切に願うという要望を書いて、回収箱に入れた。

映画に打たれて、思い切り弾けて笑う、或は涙を流す。それはある種の不可抗力であるし、何ら責められるいわれはないと考えている。

しかし、自分が退屈だからという理由で、がざごそとビニール袋から食べ物を取り出し、口に入れ、口寂しくなるとまたがさごそといわせて食べ物を取り出し、という行為は、近年ではマナー違反としての認識が広まっていると思うし、上映前のアナウンスで注意する劇場が多い。にも関わらず、毎度毎度、このがさごそ族は、発生してしまう。
どうかどうか、今回だけは勘弁して下さい、と願いながら階段を下って席に着いた。

注意アナウンスが流れた後、幕が開いた。

高峰秀子が、町の食料小売店の女将として、棚と商品とに囲まれて立っている。戦争でなくした夫の遺影がタンスの上に措かれている。手を合わせて、ふと右を向き、細かく区切られた木枠が密集した障子を前にその後ろ姿を見せると、高峰秀子の目の高さで横木が画面の左右を横断している。あぁ、これは縦と横の直線の交差によるフレームのフィルムでもあるのだな、と気が付いた。果たして、和室である居間、雀荘、神社など、撮影の背景は窓と襖、テーブルとカーテン、土台と至る所で直線が縦横に交わっている。モノクロのスタンダード、そしてその中を更に微分する様々なフレーム。そこにあっても、高峰秀子の、とりわけバストショットの神々しさは、素晴らしい照明とあいまって、見つめる機会を持ち得ただけで、幸せで胸がいっぱいになり、涙が止まらない。

商店と居間とを結ぶ廊下に、人一人通れる細さの板が渡されている。

直線が密集した室内のセットのなかで、そこだけが文字通り宙に浮いて危うげだ。
先週、日経新聞の「私の履歴書」で、上原謙の息子として子供の頃から見知っている加山雄三を相手に、坊やとこんなことをするなんて、やっぱり変だよ、と躊躇っていた高峰秀子との関係を、フィクションに移行したかのように、経験豊かな大女優である高峰秀子は、何でもないように見せながら、橋をすいすいと行き来する。

だが、終戦後の焼け野原にバラックを建てて商店を始め、十八年間、家を守り続け、家族を食べさせて、再婚もしないまま三十代半ばを迎えてしまった高峰秀子には、仕事の大先輩としても、義理の家族としても、憧れることは出来ても、対峙することは叶わないことを加山雄三はさすがに分かっている。だから、若く、拙く、兄の後家である高峰秀子を、七つの頃から慕い焦がれる加山雄三は、酔うか、酔い足りない酒を求めてか、どの道酒の力を借りなければ、橋を渡ることが出来ない。

白いはずのスクリーンが、様々に細分化されたフレームの森のなかにあって、唯一、高峰秀子のみが、白いままの背景を背負うことを許される。冒頭、暴力沙汰で逮捕された後にも関わらず、麻雀をして深夜に帰宅した加山雄三を叱る際、すっと襖を横に滑らせ、真っ白い背景を自ら作り出し、前を向いた高峰秀子は、正面や頭上の照明だけでなく、背後からもその光を反射させ、大スターの後光を発し、イコンのような抽象性、つまりもはや人ではない、聖人の領域にすら招かれてしまっているかのような、不可侵を感じさせる。

義姉への告白をし、更生した加山雄三が、かつて高峰秀子が店主として座っていた場所に、店番として座っていると、高峰秀子が無言で、折り畳んだ白い紙をすっと差し出す。神社で待っています、という文字は、我々には「謁見」を許されない。スクリーン上の成瀬組の代表者としての、巫女であり女神である高峰秀子の存在によって、神託の形式で映画に届けられ、その肉声によって内容が伝えられる。

重要なことや本心は二人きりで話し、二度目にみんなの前で話すときには、それを欺く、という演出を繰り返すことで、それが様子見のジャブではなく、第一打からのストレートであり、続いて予想外の殆ど死角とでもいうべき方向からフックを入れる、という早さと威力の頭へのクリーンヒット、畳み掛けるように意外性に満ちたボディーブローを、観客に放ち続ける。
いかなるフレームであっても、たとえフレームがなくとも、勇敢に肉体と存在を晒し続ける高峰秀子と、それを可能にした成瀬組の偉大さとに、拭っても拭っても涙が頬をつたう。

東京を経て東北へと帰郷する高峰秀子と、それを追って列車に同乗してしまった加山雄三を乗せた場面は、鋼鉄の車両と窓、鉄の椅子など、ここでも縦に横に堅固な長方形が彼らにフレームを提供し、前方へと走り抜けることになる陸橋は、冒頭の石橋や商店の渡し板の危うさなど粉砕しきり、この上なく頑丈な橋をエンディングへと架け、遂に加山雄三高峰秀子の真向かいに座ることに成功する。しかし、列車の周囲はいつの間にか白い霧に覆い隠されており、車両の内部は夜を迎え、仮眠のためのライトグレーとオフホワイトの中間のような色合いの日除けが窓に下ろされている。それを上げてみたところで、窓から見えるのは、白い闇だ。座席にかかる白いシーツと、白い窓とに囲まれた高峰秀子を見据えることなど誰も叶わぬのだから、義弟を思い、涙を浮かべる姿を目撃することなど許されぬ。加山雄三は目を落として眠るだけだ。

列車のシーンに入ってから、案の定、遥か後方の席でビニール袋が鳴り始めたのだが、どこに潜んでいるのか分からぬ相手に上映中に静かにしろと叫ぶことなど出来ず、無力にも、神々しいシーンの連続を下劣な音で汚す自分勝手なじいさんだかばあさんだかを憎み始めたのだが、他にも我慢ならない方がおられたようで、小声で言い争いがあり、ビニール袋の音は消えてくれた。

ちり紙だろうか、白い紙をこねて、指輪を拵え、こうちゃん、子供の頃こうやって私の指にして、取っちゃダメだ取っちゃダメだって言ってたの、覚えてる、と言いながら加山雄三の右手の薬指にそれを縛る。

高峰秀子を完全に抱きとめることが出来ず、またも、思いを受け入れられなかった加山雄三は、酒の力を借りてようやく高峰秀子に電話をかけるのだが、一度目と同様に、左手で受話器の取っ手を握りしめ、右手で通話口を包み込み、白い両の手を丸め、色白で丸い顔を寄せる高峰秀子の充実したバストショットは何とも力強い。畏れ多くも朝一のバスで帰れと命令するという不敬の罰なのか、窓枠の向こうで配達人が将来の花嫁と寄り添う姿やホームで新婚旅行の記念撮影をする様を目撃出来なかった罰なのか、加山雄三高峰秀子の相手としては相応しくないものとして、一緒に写真に収まる相手としてではなく、兄と同様、遺影となることを殊更に急ぐように、酔って崖から転落死する。

騒がしい眼下の様子に、不吉な予感を覚えたのか、高峰秀子はベランダに出て、真ん中がガラス小窓になっている白い障子を背に立ち、更に一歩前に進むと、嘘のように小窓が消滅して、白い障子の背景と温泉街に立ちこめる白い煙とに包まれて、またも白い世界が出現する。長方形の御座を被せられ、昨晩自らが縛り付けた白い呪いのような指輪を見て取ると、ものとなり果てた、かつて愛した男の右手の白い指輪を目がけて、それまで乱れることなどなかった髪を額と頬とに散らし、目と口を震わせて、蒼白した顔で、それがトーキーであることなどあっさりと黙殺して、静かに静かに疾走するラストシーンは、もう直視など許されぬ素晴らしさで、涙が溢れてどうしようもなかった。

帰宅して、夕飯を食べ、風呂に入って、仔猫と遊び、寝不足だったのですぐに寝入り、午前三時過ぎに目が覚めて、そうだ、キネマ旬報を読もうと、書店の方が丁寧に「成瀬」と赤字で付箋を付けて下さったページを読み進めて、愕然とした。

癌を煩った成瀬を、高峰秀子の髪結いを「殆どやってる」東宝の中尾さかえとともに見舞った折、「あれも撮らなくちゃね」と言われた、「白黒の映画。白バックで、役者だけを、演技だけを見せる映画を撮りたいけど、その時は秀ちゃん出てくれる?」その映画こそ、『乱れる』で三カ所、白を背景に高峰秀子の存在と演技だけで撮ったあれらのシーンを純化したものではないのか。


 インタビューの翌日、高峰が電話で言った。
 「言い忘れたことがある。成瀬さんが死んだ時、私という女優も終わったと思った、と言ったね。それは、もう仕事にも映画界にも一切、きれいさっぱり未練がなくなった、つまり・・・殉死だね」
 殉死–––。
 成瀬巳喜男生誕百年に贈る、これが女優・高峰秀子の、言葉である。


読みながら、また涙が溢れた。

今日もまた、成瀬巳喜男高峰秀子を拝みに、神保町に向かいます。

それにしても、直線の交差や、白バックについては、『乱れる』に行き届いているので、不勉強な僕が知らないだけで、既に批評家や観客が言及しているはずなのだが、具体的にはどの記事をあたれば良いのか。
ご存知の方がおられたら、ぜひお教え下さい。
それでは、出掛けます。


キネマ旬報 2005年9月上旬号』


成瀬巳喜男の世界へ』
http://www.amazon.co.jp/%E6%88%90%E7%80%AC%E5%B7%B3%E5%96%9C%E7%94%B7%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%B8-%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%9F%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%8F%A2%E6%9B%B836-%E8%93%AE%E5%AF%A6-%E9%87%8D%E5%BD%A6/dp/4480873171